主に不平不満を書く日記

9割不満、1割賞賛を述べる日記です。

ドラマ「人は見た目が100%」の桐谷美玲さんは正直ミスキャストだと思う。

ドラマ「人は見た目が100%」を見た。

 

以下、ネタバレ感想です。

 

 

桐谷美玲、かわいすぎぃーーーーーー!!!

次点・氷川あさみぃーーーー!!!

真実はブルゾンだけ!!!!

 

 

いや、これ誉め言葉じゃないですよ。

けなしてます。

 

このドラマ、

 

「残念女子3人がメイクやオシャレを頑張って

女子力を上げて人々を見返す」

 

という感じのドラマですよね?

 

でも肝心の3人のうち2人が美人過ぎて、

 

最初から女子力高すぎぃー!!!

 

特に桐谷美玲さん!

 

失敗したメイクでも、地味なスーツでも、

とにかくかわいい。

 

一番目立ってる。

 

むしろ何もしなくていい。

そのままでも、黙ってれば男が寄ってくる。

 

というか、無理にオシャレしたらイケイケ系の悪い男が寄ってきて

速攻で喰われてDVとかされそう。

 

むしろそのまま女子力0でいて、

同じ地味~な男性研究員とくっついて

優秀な遺伝子を残してくれ…

 

と切に思う。

 

 

うーん。

このドラマ、キャストミスですよ。

 

だって残念系女子の話のはずなのに、

主人公3人のうち、2人が最初から可愛すぎる。

ブルゾンはまだ残念系女子だけど、メイクがしっかり決まっているせいで

整って見えるし私服も悪くないし、普通に外歩けるレベル。

失敗メイク顔も全然許容できるレベル。

 

なんかさー、違うんだよ~。

 

女芸人を選ぶなら、いとうあさことか大久保かよことかそこらへんだよ。女優を選ぶなら、片岡はいり系だよ。

 

そういう残念系女子が少しストールの巻き方を変えるだけで

 

「えー!!めっちゃかわいくなってるじゃん!!」

 

みたいな感動を味わいたいんだよ。

 

桐谷美玲も氷川あさみも元がいいから、最初からかわいいんだよ。

 

ていうか、なんでこのドラマの主人公に桐谷美玲さんを選んじゃったの…?

 

もっとがっつり恋愛系の方が似合うよ。

誰だよキャスト選んだのは!センスなさすぎぃ!

 

ということで、残念系女子3人は最初から全然残念じゃないし、

かわいいのに「自分かわいくないですから!」とか言い張って逆にイライラしてしまう。

 

キャスト次第ではもっと面白くなったのにな~。

残念だ。

でも次も見る。

 

 

 

 

笑ったり泣いたり、だから人生は楽しい。…な訳あるかぁー!!

表題の通りです。

 

漫画やドラマや映画で、よくそんなセリフを耳にします。

 

その世界のボス「人生は悲しみに満ちている」

その世界の主人公「それは違う!泣いたり笑ったりするから人生は楽しいんだ!」

 

みたいな展開。

 

あのさぁ。

 

笑うのはいいよ。

楽しいし、嬉しいし。

 

でも「泣いたり」は嫌だ。

この場合の泣くって、「嬉しくて泣く」とかじゃなくて

悲しくて泣く、悔しくて泣く、の「泣く」でしょ?

 

悲しいのも悔しいのも楽しいって?

そんなの嘘でしょ?

 

・悲しみや悔しみのある人生

・それがほとんどなく、喜びの多い人生

 

どっちか選べって言われたら、みんな後者を選ぶでしょ?

 

私はできるなら「笑い」だけの世界にいたい。

人類全員がお釈迦様みたいなすごい悟りを開いた人で、

争いや憎しみや悲しみがない世界がいい。

 

笑ったり泣いたりする、そういう浮き沈みがあるなんて嫌だ。

平坦でいたい。

 

それに笑った後の悲しみは倍つらい。

つらさの後には笑いが来るかもしれないが、

つらさの度合いによって笑いはかなり後にならないと来ないかもしれない。

人によっては笑いが来る前に死ぬかもしれない。

生きている間に次の笑いが来るなんて保障は、絶対にない。

 

人生いろいろあるから面白い、ていう人もいるけど、色々なくていいよ。

いろいろあった方が面白いってことなんだろうけど、

色々って「つらいこと」とかも含まれるでしょ?

 

私は、

人生にはつらさや苦しみが必要だと、肯定したくない。

 

そういう負の感情は、

本来は「必要のないもの」だと思いたい。

 

つらさや苦しみがないと人間が成長しないというのなら、

成長しなくていい。

 

楽しいとか笑うとか、

そういう「陽」の感情だけで生きてこそ、

人生は楽しいと胸を張って言える。

そしてそれが、人本来の生き方だと思う。 

 

もし人が全員悟りを開いて幸せな世界になったら、

動物や草に、「人間は楽しいよ、次はぜひ人間に生まれてきてね」と言うだろう。

 

でもつらい、苦しい、憎い、泣きたい…

そういう負の感情がある限り、

人生楽しいよ~★人間オススメ!

なんて言える訳ない。

 

もし犬や猫や兎が言葉を話せて

「次は人間に生まれ変わりたいな!」とか言ったら全力で止める。

 

 

 

つまらないドラマは悪口で盛り上がれるのでそれはそれで楽しい。

春ドラマがボチボチ始まった。

おもしろいドラマもあるし、1話から速攻でつまらない話もある。

 

でも、つまらないドラマも見る。

つまらないドラマの中でも、見てて退屈なものは見ない。

 

私が見るのは、

 

・作り手が「ここはウケるぞ~」と思って作ったんだろうなあという思惑が透けて見える寒い演出のあるもの。

 

・明らかに間違った主張をしているもの。

→どう見てもモテそうなかわいいヒロインの、モテない演出。

→頭が良いという設定のキャラの、頭が悪すぎる行動など。 

 

・見ててあまりイライラせず、「フッ」と冷笑できるもの。

 

こういうドラマは、ドラマ自体はつまらないんだけど、

 

「このドラマ、あそこが全然ダメだったよねー!」

 

という悪口で、とても盛り上がることができる。

 

おもしろいドラマを見て「ちょ~おもしろかった~!」と言い合うこともできるけど

そこまでおもしろいドラマって中々ない。

 

でもクソなドラマはけっこうたくさんあるので、

自分のオススメのつまらないドラマを見つけてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

学校でLGBT関連のいじめが起こるのは、学生の「見た目の風紀」が厳しすぎるからだと思う。

最近LGBTが話題だ。

 

簡単に言うと

 

両刀使い(バイ)や

同性愛者(ゲイ・レズ)、

自分が思っている性と体の性が違う人(トランスジェンダー)を指す。

 

学生時代、特に大変なのはTの人、トランスジェンダーだと思う。

 

ぶっちゃけバイとゲイとレズは本人たちのグループの中だけで完結していれば、

全く問題ないと思う。

黙って普通にしていれば、他の人にバレることも少ない。

 

でもトランスジェンダーは、

自分の性と異なる制服を着るのは苦痛だろうし、

水泳や健康測定など裸になる機会も嫌だろう。

 

仮に学校が

心は女、体は男の生徒に

「男だけど女の制服着ていいよ」

と言ったとしても、それはそれで気まずい。

 

男が女の制服を着ていたら好奇の目で見られるのは当然だ。

 

だがそもそもの原因は、

 

「学校が見た目の風紀に厳しすぎる」

 

のが原因じゃないかと考える。

 

 

化粧をするな

前髪を伸ばし過ぎるな

女子は長い髪は必ず結べ、ただし1つか2つまで。

髪を染めるな

スカートを短くするな

男子は髪を伸ばすな

 

と、風紀に関してはかなり厳しいところが多いと思う。

そして例え悪いことをしていなくても、

スカートが少し短いだけで生活指導の先生にガンガン怒られたりする。

 

こういう規則にがんじがらめにされていると、

 

「男が女の制服を着て普通に登校する」なんて

生徒たちにとったら

 

常識外れも常識外れ、あんた死ねば?

 

というくらいの衝撃に感じるだろう。

 

それに、

 

”俺たちは規則で厳しく縛っておいて自由にできないのに、

お前だけ自由になるの?

 

ずるくない?

 

調子に乗りやがって。

 

ムカつくからからかってやろう!

 

やーいオカマ~!!”

 

となると思う。

 

 

そこでもしですよ、

 

学校が普段から生徒に

 

髪は自由に染めていいよ!

化粧もやっていいよ!

スカートは極端じゃなければ短くしていいよ!

男子でも髪の毛伸ばしたい人は伸ばしていいよ!

 

という規則で、

生徒たちが自分の好きな恰好で学校に通うのなら、

 

例え男が女の制服でいてもそこまで

 

「あいつ変」

 

と思われずに済むんじゃないかと思う。

 

性の喜びおじさんじゃないけど

性を感じさせるようなことを極力させないようにしているのに

一方では「性は大事です!性を尊重します!」みたいなことを言われると、

なんじゃそら、となる。

 

俺らに厳しくするなら、

そいつらにも厳しくしろよ、

逆差別だろ!

 

と思うのは当然の感情だと思う。

 

学校の仕組みがLGBT(特にT)へのいじめを助長している。

 

人を見た目で判断しちゃいけないけど、悲恋系のドラマや映画で主人公の女がブスだとそれだけで萎える。

私は人を顔だけで判断しない。

 

かわいい子は「かわいいなー」と思うけど、

かわいくない子を見ても「キモw近づかんとこw」みたいに思うことは

絶対にない。

 

すれ違いざまに若い子が誰かに

「あの人めっちゃキモい(笑)」

とかぼそっと言い合うのを聞くと、

 

その若い子に殺意すら覚える。

 

とにかく人を見た目だけでバカにするのは

それこそバカのすることだと思っている。

 

そんな私だが、

見た目に偏見があることがある。

 

それはシリアス悲恋系のヒロインが

「可愛いくも綺麗でもない」場合だ。

 

それはいわゆるブスのことか?

 

と問われると、そうではない。

ドラマや映画に出られるくらいだから、ブスではない。

 

ブスでは決してないが

 

「ヒロインを張れる顔か」と言えば

「うーん…」となってしまうような顔だ。

 

「私の為に争わないで!」というセリフが

似合う顔かどうかと言えばいいだろうか。

 

この人、なんか顔が微妙だな~と思うと、

男が2人寄ってきて取り合いしても

「えっ…ま~好きにすれば~?」と他人事になってしまう。

 

コメディタッチの、例えば「モテない女系」の作品だったら、

別にそういう顔でも問題ない。

 

ていうか、むしろそっちの顔を選んだ方が

より感情移入ができる。

男2人が寄ってきても、

「がんばれ~!よく考えるんだぞ!」と応援したくなる。

 

ただ、シリアス系で主人公が恋人に看取られながら病気で死んじゃうとか

そういう展開でヒロインの顔がダメだと、

全くヒロインに感情移入できない。

 

ホント、びっくりするぐらい動揺しない。

 

ヒロインが死んでも

 

ほーん。

 

くらいしか思わない。

 

ヒロインが死んだことで男が泣いても

「まー別の出会いがあるさ」

としか思えない。

 

 

ドラマや映画じゃなくてドキュメンタリーだったら、感情移入できるかもしれない。

 

でも作品かつその内容がシリアス悲しい恋となると、

ヒロインは

「めっちゃ可愛いかめっちゃ綺麗なヒロイン」でないと、許せない。

 

というか、萎えてしまって、

どんな展開が来ようと全てどうでもよくなってしまう。

役所はむしろ平日は16時~24時くらいに営業してほしい。

私は昔会社員として働いていた。

土日はそこそこ休めるのだが、平日はほぼ休みはなかった。

就業時間はいつも7時くらい。

 

そうなると困るのが、役所での手続きだ。

 

例えば引っ越したら住民票の移動、

戸籍が必要なら戸籍謄本の取り寄せ、

他にもいろんな手続きがある。

 

まあ必要書類は郵送請求もできるのだが、

徒歩で行けるところに市役所があるのに

何が悲しくて

手数料を多く払い自分で返信用封筒まで用意しなきゃいけないんだと思う。

 

それもこれも、役所が8時に開店して5時頃には閉まってしまうから問題がある。

 

役所の手続きが必要な人って社会人がほとんどじゃん?

社会人の半分以上は昼間働いてるじゃん?

てことは、平日は絶対役所にいけないじゃん。

 

昼休みに行けば~という人もいるけど、昼休みはのんびりご飯が食べたいんだよ。

役所で時間を気にしながら「早く戻らなきゃ」みたいに焦りたくない。

 

会社で半休取れば?有休取れば?という人もいるかもしれないけど、

休みの日は休むためにある。

「あれをしなきゃ…」みたいに考えたくない。

 

役所で手続きをする為に休みをとるなんて、

バカバカしいにも程がある。

 

そこで提案だが、役所は平日は16時から営業を開始してはどうだろうか。

そしてそこから8時間、つまり深夜0時までの営業だ。

 

そうすれば平日でも役所に行ける。

多くの人が利用しやすい時間帯に合わせた方が良い。

 

思うのだが、社会の中でもっと

「働いている人」を優先しても良いのではないだろうか。

彼らが働いてよりたくさん税金を納めているからこそ、社会は成り立つ。

 

税金が集まらなければ、そもそも役所も立ち行かない。

働いている人というのは、役所の一番のスポンサーとも言える。

 

なのに月曜の朝8時から役所を開いて、どうせいっていうんだ。

「その書類の提出が遅れたら罰金でーす」という類の手続きもあるが、

平日は仕事で忙しいのにいつ行けっていうんだ。

 

住民税、所得税自動車税もろもろ、医療負担だって働いている人が一番多く支払っているのにだ。

 

働いている社会人に対してケンカを売っていないか?

 

効率が悪すぎる。

 

市民に平等にサービスを与えるのが役所の仕事なら、

大多数の人が来れる時間帯に営業時間を合わせてほしい。

 

そうでなくても働いている人が一番税金をたくさん納めているのだから、

働いている人が一番気やすい時間帯に営業してほしい。

 

 

武田鉄也さんは俳優であって先生ではないのに先生扱いされてるのっておかしくない?

テレビのバラエティにはゲストとして色んな芸能人が出演するが、

俳優の武田鉄也さんもよく見かける。

 

そして、武田さんは武田鉄矢さんというよりも、「金八先生」として番組に呼ばれていることが多い気がする。

 

勿論もうドラマは終わってるから金八先生ではないのだが、

金八先生の人格を乗っ取った武田鉄矢さん」という感じで存在している気がする。

 

番組では、主に「先生」として何かを教えるコーナーや、人生の名言を伝えるコーナーが多い。

 

でも、武田鉄矢さんって本当に「学校の先生」だった訳じゃないよね。

 

有名な「人という字は~…」というセリフも、

原作者や脚本家が考えたものであって

武田さん本人が学校と言う現場で生徒たちに教えたセリフじゃない。

 

さらに言うなら、問題のある生徒を苦労して分かち合うというのも

ただのドラマであって

実際は武田さんは問題のある生徒に対面した訳じゃないし。

 

というかむしろ、生徒役の子供たちにとって

年上でキャリアもある武田さんは大先輩にあたるのだから、

子供達には尊敬こそされ、

ドラマのように悪口を面と向かって言われたり無視されたりすることはなかったと思う。

 

そう考えると、ただドラマで先生役を演じて、

感動するセリフもおお~!と唸るセリフも

全部別の人が考えた言葉なのに

なんか武田さんが考えたことになってるみたいな雰囲気が不思議だ。

 

本当は学校の先生なんてやったことない、問題ある生徒に悩まされたこともない

そういう人が「学校の先生」っぽくふるまって学校とは何かを熱弁する。

 

皆はどう見てるんだろうか。