この世を盛り上げる為だけに存在している60億人のNPC。
私は人を妬んだり羨んだりすることが非常に多い。
自分自身が特にこれといった特技を持っていないし、そういう努力もしてこなかった。
だから強みがないのは100%自分のせいである。
そうありながら、分かっていながら、
強みを持っている人を見ると心がざわざわしていた。
かわいい芸能人を見れば羨ましがり、
絵がうまい人を見れば羨ましがり、
宝くじに当選した人を見れば羨ましがり、
すごい仕事をしている高給取りの人を見れば羨ましがり、
とにかく羨ましがりの権化みたいな人間だった。
でもそういう考えだと自分がすごく苦しいんですよね。
妬んだって自分の何かが良い風に変わる訳でもないし。
そういうことであまりに苦しい。
だから自分を救うために、
あるひとつの考え方に行きついた。
それは、「私以外の人は生物を含め全員NPCだと考えよう」ということだ。
NPCとはゲームの言葉で、ノンプレイヤーキャラクターを指す。
例えばRPGで
「ここは始まりの町です」とか言っている仲間にならない町の人たちや
ゲームを説明したり盛り上げる為だけに存在している、
直接プレイできない人たちである。
この世で自分以外をNPCに置き換えてみよう。
10億円の宝くじに当たった人がいる。
羨ましい。
もう働かなくていいじゃないか。
なんで私じゃないんだ。
悔しい。
でも待って!
この人は最初からそういう役割を与えられている人である。
宝くじというイベントを盛り上げる為に存在している人であり、
宝くじが当たっているさまを私に見せて私に「宝くじ買おうかな?」という行動をさせるのが仕事なので、宝くじに当たるのは必然だ。
だから、あの人は宝くじに当たったのに、なんで私には当たらないのだろうと妬む必要はない。
宝くじに当たったというプログラムの元に作られたNPCだから。
絵がうまい人は、絵がうまいという特技を持つNPCである。
イラスト業界を盛り上げる為に存在しているNPCの1人であり、ただの背景だ。
日本はイラストを描く人が多いのでこのNPCは多いし、
たまにNPC同士で争いや確執が起きたりする。
でもそれも所詮はそういうNPCだ。
リアリティを持たせるために、ある特定のNPCにそういうイベントが仕込まれているだけだ。
そういう争いを見せて、「うーん、私はこっちのイラストの方が好き」とか「争いはよくない」とかそういう何らかのメッセージをプレイヤーである私に伝えるのが仕事である。
だから妬む必要はない。
NPCだから、元々うまい。
そういう設定なんだ。
きのこたけのこのように、
いくら言っても分かり合えない人間がいる。
そういう人たちもNPCだ。
ゲームの中にも、こちらがどんな選択肢をしても同じ答えしか返さないNPCがいるよね?
せっかくロードして聞き直したのに、同じ答えやん!って奴。
そういう人たちはそういう風にプログラムされているから、しょうがないんだ。
同じことしか言わないようにプログラムされているNPCに100回尋ねても答えは一緒だ。
そう考えると、イベントを用意されていないNPCの考えを変えることはほぼできない。
もっと大きく言えば、
この世にプレイヤー、つまり人間として存在しているのは私だけだ。
地球には今60億人くらいの人間がいるそうだが、
私を除いた60億人は全て、私がいるこの世を盛り上げる為だけに存在している、板に書かれた絵とも言える。
宝くじを買った人間は、私しかいない。
絵を描いた人間も私しかいない。
だって人間は私しかいないんだから。
NPCはただの指標でありガヤだ。
こう考えると人生が楽になるので、そう考えている。
追記
同時に私は、誰かの人生のNPCだ。
妬みの権化として「うわぁ…」として見られるNPCもそれはそれで誰かの反面教師になって良いのかもしれないが、やはり普通の人間が良い。
いや、普通より良い人間でありたい。
そして天国へ行きたい。