主に不平不満を書く日記

9割不満、1割賞賛を述べる日記です。

闇から「けものフレンズ」を守り切った製作スタッフに、花束を。

 「けものフレンズ」が最終回を迎えた。

 

前話で「かばんちゃんが死ぬ!?」みたいな流れだったが、

 

結局かばんちゃんは死なず、

というか

誰も死なず(ボスは若干微妙だが)、

今までの味方が終結して見事敵だけを倒し、

さらにサーバルちゃんとかばんちゃんは別れることもなく

 

「これからも楽しい旅はまだまだ続くよ!」

というお手本みたいなハッピーエンドだった。

 

こんな展開にほっとした人もいた半面、

正直ぬるすぎて

 

「つまらん」

 

と思う人もいるかもしれない。

 

全話を通して

 

「人類が絶滅してるかも…」

「急に出現したサンドスターという鉱物」

「謎のエイリアン的な敵せるりあん

「フレンズは死ぬこともある」

 

など”不穏な伏線”を張り巡らせていたので、

若干のマドマギ的な修羅場を期待していたのに

全てが平和で良い感じで収まってしまい

「なじゃそら」とがっかりする人もいるだろう。

 

私もそのひとりだ。

「世の中なんてそうそう簡単にうまく行くわけねぇよ」

と思っている人間の1人なので、

 

最終回は

かばんちゃんは結局死んで、

気が付いたら1話のサーバルちゃんとの出会いに戻っていたループエンドや、

 

敵を倒したはいいが人は結局絶滅しており、

笑い合うみんなの背景に、猿の惑星のような荒廃したビル群がつらなっている闇エンド。

 

そういう最終回を少し望んできた。 

 

そしてけものフレンズ自体も

伏線や”荒廃した遊園地”を舞台にしたEDだったので

「物語をバッドエンドへ導く要素」はいくらでもあったし、可能だった。

 

「たーのしー」と笑う若干棒読みチックなサーバルちゃんを

闇に落とすのも、案外簡単だったと思う。

 

 

面白いことに、けものフレンズには

「コメディでありつつ確かな闇がある」という見事な伏線の構成のおかげで、

どんな最終回もある程度許される(整合性がある)展開になっていたのだ。

 

だから、大人が選びそうなちょっとクセのある

「ループエンド」や「闇が見え隠れするエンド」も作ることはできたのだ。

 

 

 

だが、スタッフはそれを選ばなかった。

 

 

 

ところで、人が作る作品には、

その作品の方向性がはっきり決まっていたとしても、

「それを実際作っている人の正直な気持ち」が出ると思う。

 

それは「キャラのセリフ」だったり、「ちょっとした展開」に現れる。

 

例えば”正義が必ず勝つ”と決まっている子供向け作品でも、

それを作っている人が

 

「実際は正義が勝てる訳ないし」

 

なんて思っていたら、

 

キャラがポロっと「そんなの会社では通用しないけどね~」とメタ発言しちゃったり、

悪役である敵側に、同情の余地があり過ぎる設定を載せてしまったりする。

 

スタッフは病んでいたのかな…という、

最終回でめちゃくちゃになった作品もけっこうある。

 

 

最終回の後調べて分かったのだが、

この「けものフレンズ」という作品は

皆仲良しお気楽アニメでありながら

現実はアニメが始まる前から

 

・不人気によりアプリが終了

・コミックも売れず終了

・低予算過ぎて人がいない

 

という、かなり恵まれない星の元に生まれた作品だったようだ。

 

人気もない、お金もない、人もいない。

 

 

けものフレンズ」は

見るからに泥船だったが

すでに会社のスケジュールとして「けものフレンズを作る」と決まってしまっていて

今更枠を変更することもできないので

会社の予算を食いつぶしながら惰性で作るしかないという、

ゴミのような船出だったに違いない。

 

見る人も少ない。

スタッフも予算もない。

何も期待されていない。

 

そんなアニメだ。

 

そういった環境で作られるアニメは、

どんなものにできあがるだろうか。

 

動かないジャパリバスを見たサーバルちゃんに

「うちは予算少ないから!」

とケロっとした声で、

メタ発言のひとつでもさせたくなるのではないだろうか。

 

ジャパリパークの背景に、こそっと動物の死体的なものを

書き足したくなるのではないだろうか。

 

あんなに大勢のキャラがいるのだから、

腹いせに1人くらい、殺したくなるのではないだろうか。

 

何より期待されていないのだから

展開をしっちゃかめっちゃかしたくなるのではないだろうか。

 

 

だが、スタッフはそれをしなかった。

 

 

ひたすら真面目に作った。

 

 

キャラに自分たちの現状をメタ発言させることは一度もなかったし、

 

ジャパリパークはところどころ荒廃しているものの、

健全な荒廃の仕方であった。

それ以外の自然はとてもきれいで、

不自然に植物がしおれている・枯れているということはなかった。

 

勿論、キャラは誰も死ななかった。

 

そして最終回では、実に平和なハッピーエンドを選んだ。

最終回まで、「本当の闇」を感じさせることはなかった。

 

「わーいたーのしー!」で

始まったけものフレンズは、

「わーいたーのしー!」で終わった。

 

 

スタッフは自分たちの現実の闇に飲まれることなく、

この作品を作り上げた。

 

もしくは闇に飲まれながらも、

決して作品には干渉させなかった。

 

 

スタッフに支えられて、

ダブル主人公であるかばんちゃんとサーバルちゃんは

最後まで楽しいキャラを演じ切り、

精いっぱい作品の魅力を伝えた。

 

 

 

皆が同じ方向を向いて、できることをしっかりやった。

それがこの作品の最終回であり、こぼれたスタッフの心だった。 

 

けものフレンズ」の最終回は、

それまでの伏線からの展開としては少し物足りないかもしれない。

 

だがこの「けものフレンズ」という作品に限り、

大切なのはそこではないと私は思う。

 

 

けものフレンズ」が「けものフレンズ」らしく終われた。

 

バッドエンドを、

闇を知る、現実を知る、つらさを知る大人自身の力で跳ねのけた。

 

背後にある悲惨な現状に負けず、

血反吐を吐きながらでも

それを全く感じさせないハッピーエンドを選んだ。

 

 

 

遊園地は魔法では動かない。

汗を流して働く大人がいるからこそ稼働する。

そして大人がそこに「夢を見せたい」と思うからこそ、夢はできあがる。

 

たとえそれが、始まる前から荒廃してしまった遊園地でも、

作り手次第でいくらでも息を吹き返すことができる。

 

スタッフは旭山動物園のように、

キャラ達と協力して作品を立て直したのだ。

 

それはすでに泥舟ではないし、

ゴミの船出から蘇った作品としてひとつの語り草になるだろう。

 

 

確かに愛はここにあった。

 

 

闇から「けものフレンズ」を守り切った製作スタッフに、

私は賞賛を送りたい。