目的は「働いて食い扶持を稼げるようになること」「人に潰されないような精神力を身に着けること」の2つだけ。
中学生までは義務教育だから、
学校に通う義務がある。
じゃあ「なんの為に学校に行くのか」を考えてみたら、
突き詰めると↑になると思う。
最近さ、学校を神格化し過ぎて「学校に通う事が目的」みたいになってないかと思う。
だから、
・いじめられて精神的にヤバイのに学校に通い続ける。
・具合が悪いのに皆勤賞を目指して学校に行く。
みたいな本末転倒なことが起きる。
学校に通うのは1つの手段であって、本来の目的は↑の2つだ。
まず1つめは
働いてご飯を食べられるように、
最低限の日本語や算数、一般常識の社会や理科を習う。
中学までの勉強をしっかりすれば、ある程度のバイトは務まる。
バイトの仕事が務まれば、正社員の仕事も務まる。
これで働いてご飯を食べることができる。
次に2つめ。
これが大事だ。
学校は「皆が仲良くすることが目的」ではない。
「色んな人がいる中で、自分の精神を健康に保つ訓練をする」所だと思う。
世の中にはびっくりするくらい意地悪な人がいる。
びっくりするくらい卑怯な人がいる。
そういう人たちは、治らない。
だから、同じクラスなどで逃げられない場合は
「最低限の付き合いをしつつ関わらない」
ということが大事だ。
そして時に「逃げる」という選択も必要になる。
いじめってあるよね。
あれは大人で言う「ブラック企業状態」だと思う。
ブラック企業の中ではそこの常識が異常だから、
いくら正論を言ってもどうしようもない。
対策は「退職」するつまり「逃げる」しかない。
立ち向かうにしても「逃げた後」に、
弁護士や労基に駆け込むのが賢明だ。
学校に通うのを目的にしすぎて、
いじめられても学校に通い続けるなんて愚かだ。
それは、明らかに違法な労働を強いているブラック企業に
自ら出社し続けている手遅れのリーマンと同じだ。
そしてリーマンは過労死か、自殺する。
いじめの末路も似ている。
いじめに合ったらとりあえず学校に行くのをやめてほしい。
学校は「人に潰されないような精神力を身に着ける」場所でもある。
ただこれは
「だから何でも我慢しろ」
と言うのではない。
むしろ逆で、
「潰されように、問題が起きる度に自分で対策を考え実行しよう」ということだ。
その中には当然「学校から逃げる」という選択肢もある。
例えばいじめにあって、人に潰されそうになったら?
これも、学校がその人に与えた「社会的」課題だ。
なぜなら大人の職場でもいじめは起こる。
学校でいじめがおきれば、
「その時自分はどうすべきか?」という予行練習ができる訳だ。
いじめはいじめをする方が100%悪い。
というか、「部が悪い」。
世間から見れば、いじめられている方に世の中の人は味方する。
いじめの味方をする人はいない。
するとすれば、それはやっぱり過去に誰かをいじめていた人、いわゆる同類だ。
そんな奴は味方にいらない。
だからいじめられたら
・冷静になり証拠を集めて徹底的にせめても良いし、
・教育員会に駆け込んで大騒ぎしても良いし、
・なんなら自分がいじめられている様子をいじめっ子と一緒に
Youtubeにアップしても良いし、
・関わりたくないと、逃げるだけも良い。
対策は色々あり、どれが正しいということはない。
自分でこれだ、と選んだものが正解であり、糧になる。
いじめは雨が降る、雷が落ちる、といったのと同じくらいよくあるひとつの現象だ。
だから自分の身に降りかかったら「何らかの対処をする」。
基本はこれだ。
ただいじめを甘んじて受ける、というのは
「問題が起きているのに何もしない」のと同じで、
自体は悪化しかない。
雨に濡れっぱなし、雷がゴロゴロなっているのに避難しようともしない。
それでは自分が傷つくだけだ。
学校で↑の2つの能力を獲得することに重点を置いて、
学生生活を送ってほしい。