主に不平不満を書く日記

9割不満、1割賞賛を述べる日記です。

龍が如く6 老害になりつつあった桐生さん

龍が如く6の感想。

 

その無鉄砲さが魅力だった桐生さんだけど、

前半で「赤ちゃんを無理やり強奪」の展開で、

 

あ、もうカッコイイ桐生さんの時代は終わったんだ…と思った。

 

桐生さんは、

・東城会を敵に回してもひるまない。

・誰かのためにわが身も振らずがんばる。

 

プレイヤーが「えー!そんな選択するなんて勇気あるなあ!」

と感嘆してしまうすごいキャラで、

桐生ちゃんの決断には

「危ないけど応援する!」という感じだった。

 

でも、いくら上の人があんまり仕事しなさそうだとしても、

安全なところからあえて赤ちゃんを持って行っちゃうところはダメだった。

 

しかも動機が「もう俺が赤ちゃんに会えなくなるから」というものだった。

 

なんかさー

いつもの桐生さんなら、

「俺は二度と会えなくなるけど、赤ちゃんが幸せになるならそれで良い」

と思うんだよね。

 

なんかそういう切ない選択をいつもしてきた感じだからさ。

 

それが、秋山さんをボコボコにしてまで赤ちゃん持ってっちゃうとは…。

 

あの赤ちゃんは中国マフィアやほかの組織からも狙われるから

桐生さんが持ち去るのが結果的には良かったのかもしれないけど、

 

それならせめて、

「ヤクザが赤ちゃんをねらっている!?

それなら俺が守らないと!」

 

という風に、赤ちゃんが狙われていることを知ってから

赤ちゃんを持ち去ってほしかった。

 

あの秋山さんボコボコで赤ちゃん連れ去り事件で、

桐生さんは「自分のわがまま」で行動しちゃって、

もうキャラ的に寿命なのかな、と感じた。

 

そもそも龍が如くでは時間が流れているし、

若い頃は無鉄砲さや自分の正義感でつっぱしるのがカッコよく見えても、

初老にもなるような年でそんなことやってたらさすがについていけなくなる。

 

昔はワガママはワガママでも、「自分が信じる正義の為」に動いてたのに、

今回は完全に「遥の子供を俺の手元に置きたい」が動機になっちゃったからね。

 

キラキラしてて憧れの存在だった桐生さんは、

さすがにもうここで終わりなんだね。

 

龍が如くシリーズでは

ずっと桐生さんに主人公やっててほしいと思ったけど、

 

キャラにも寿命があるんだなあ

 

ってすごく感じた。

 

それが悲しくもあり切なくもあり。

 

 

そう考えると、今回真島・冴島・大吾と闘わなかったのも、

なんとなくうなづける。

 

今回の「龍が如く6」が

「桐生さん最終章」

ということだったけど、

 

「なぜ最終章なのに桐生ちゃんと縁が深い真島や冴島、大吾が絡んでこなかったんだ」

 

という意見をよく目にしたし、私も最初はそう思った。

 

でも「最終章」っていうのは実質「5」で終わってて、

つまり桐生さんの全盛期であり最終章は5。

 

最終章っていうのは、

個人的に「その主人公や仲間が一番輝く時」だと思うんだけど

桐生さんも桐生さんの仲間も5がそんな感じだった。

 

6はもう6自体がエピローグ扱いと言うか、

後日談、最後のまとめという感じ?

 

なんていうか、6は勇者が魔王を倒した後の話。

魔王を倒して少しのんびりしていた勇者が、

少しだけやっかいな事件に巻き込まれてあと少しだけ冒険をする

「もうちょっとだけ続くんじゃ」的な話が6なのかと。

 

だから縁の深い仲間は出さず、

桐生さんだけに焦点をあてた「桐生ちゃんだけの物語」

になったのかなと。

 

それだと、桐生さんが最後にした選択が生きてくるようになる。

 

物語の最初では今までの桐生さんじゃないような身勝手な理由で

「俺が赤ちゃんを連れて行く」という選択をしてプレイヤーを「!?」

ってさせて、さすがの桐生さんも老害化か…と思わせる。

 

だが最後に桐生さんは

「俺が死ぬことで皆が幸せになるならいくらでも死んでやる」と言い切る。

 

そうだよ!!

これこそが皆が憧れた桐生さんだよ!!

 

6で桐生さんは年の瀬もあり最初ちょっと重心がずれたけど、

最後には元に戻った。

 

そしてそれは桐生さんが本当に死ぬまでずっとそのままだろう。

カッコいい桐生さんのままでいられるだろう。

 

そういう余裕を感じられる最後だった。

 

そう思うと、次の龍が如くシリーズでは、

桐生さんはもう出してほしくないなと思う。

 

桐生さんもさすがにカタギとヤクザを行ったり来たりして疲れただろう。

もうさすがに、争いとは無縁のところ、ゲーム外で地味に生活してほしい。

 

次のシリーズでは「昔堂島の龍と言うすごい人がいてな…」みたいな

語り草だけで、キャラとしては出ないでほしいと思う。

 

桐生さんの物語は5で盛り上がり、6で静かにフェードアウト。

 

なんていうかこの終わり方、

NHKの「その時歴史は動いた」のエンドロールに似ている。

 

「その時歴史は動いた」で焦点を当てられた人物も

本編中はすごく活躍して、

「すごーい!これだけすごい人なら、死ぬまで大切にされたんだろうなあ」

と思いきや

 

エンドロールでは

 

「人知れず死んだ」とか

 

「歴史の闇に消えた」とか

 

そういう切ない感じがあるじゃん。

 

でも、切ないけど悪くないじゃん。

 

桐生さんもそういう感じでさ、

「昔伝説に名を馳せた桐生という人がいたが、

晩年彼がどうなったかは、だれも知らない…」

 

というのが生ける伝説にまでなった桐生さんの最期らしいなあと思った。

 

桐生さん、長い間お疲れさまでした。

 

 

追記。

そうそう、忘れてたけど、

「あんなにヤクザに迷惑をかけられた遥が

どうでもいいチンピラヤクザに簡単に体を許して

子供まで産んでしまって桐生さんもそれをスルーしてしまうのが許せない」

 

という意見をよく見た。

私もそれはほんと~によく思う。

 

遥の妊娠・出産は外せないイベントだったとしても、

相手や動機はもうすこしど~にかならなかったのかと思う。

 

ただ、遥のキャラ崩壊は

5でいきなり芸能人になっちゃってしかも

最後にはそれを捨ててしまったというところからすでに始まっていて、

 

遥はゲーム開発者の間で「龍が如くのイベントを作るための都合の良いキャラ扱い」

になってしまったんだなあと思った。

 

だから6でいきなりヤクザの子供を産んでいても、もうしょうがない。

遥は見た目が遥なだけで、中身は別人になったんだと思う。

 

6で大事なのは、桐生さんがどういう決断をしたかということだけだ。

遥や他のキャラは、今回どうでも良い。

 

なんなら遥もハルトもモブに近い。

 

本当に、「桐生さん以外新キャラ」で見ても良いくらいだ。

6では桐生さんが作中でどういう判断をし、どういう決断をしたのかだけ

見れば良いと思う。

 

6はそういう物語なんだ。

龍が如く6のサブタイトルは「命の詩」だけど、

この命は概念的な親子のことでも遥やハルトのことでもなく、

桐生さんのことだと思う。

 

ゲームのキャラ的に命が燃え尽きようとしている桐生さんの、

最後のあがきというか。

 

そういえば、6ではなぜかチャンピオン街や

今まであったミニゲームがいくつか消えていた。

 

今まで桐生さんを盛り上げていた背景達も、

店じまいをしている途中のようじゃないか。

 

だんだん注目されなくなる、

情熱が注がれなくなる、

マンネリ化してくる、

ネタがなくなる…

 

そういう、

魅力あるゲームとしての命が消えようとしている中。

 

できる範囲で「ちゃんと幕を引こうとしている主人公」。

 

そのあがきが6だ。

 

ゲーム開発会社としても、一枚岩ではない。

 

宣伝をする為に無駄に企業とタイアップしたり、

よけいなイベントを入れたり

よけいなキャストを入れなければならなかったりする。

 

「主人公の最終章!」と言いながら、

十分な資金が準備できなかったり

時間がなくて作りこみができなかったりして

最後にふさわしい、しっかりした花道を用意してあげられないこともある。

 

それでもこれが「最終章」というからには、これで最後だ。

いくらお金がなかろうと時間がなかろうと、

できあがったゲームの中で

桐生さんが最後にどういう決断をしたのかが真実になる。

 

龍が如く6 命の詩。

 

主人公の桐生一馬

今までプレイヤーを楽しませるためにひたすら体を張ってきました。

しかしそのキャラの命も今回で尽きようとしています。

 

桐生さんの最後の決断は、

桐生さんが初めて主人公をした「1」と比べてどうでしたか?

 

大人の事情によるキャラ改変は、

桐生さんにまで及んでいたと思いますか?

毒されたまま終わったと思いますか?

 

私は、少なくとも桐生さんだけは

最後はきっちり桐生さんらしく終われて良かったと思いました。

 

龍が如く6は

ひとつのゲームシリーズとしての死、そして主人公キャラの死を、

衰退を含めて間接的に描けた作品だと思います。

 

 

 おわり。