主に不平不満を書く日記

9割不満、1割賞賛を述べる日記です。

少女漫画で意地でもパンツを見せないのは、男向けの硬派な漫画で男のズボンのチャックが絶対開いてないのと同じ原理。

少女漫画を見ると、みんなかわいい顔にかわいい服を着ている。

そしてミニスカートも履いている。

 

少年漫画と少女漫画を比べると、

少年漫画にでてくる女子は何でもないシーンでパンチラすることが多いが、

少女漫画では絶対にない。

 

どんなに風が拭こうと、スカートが短かろうと、絶対に見えない。

 

パンツ、少しくらい見せた方が面白いんじゃないかと大人の私なら思うのだが、

少女漫画でパンツが見えるのは「アンパンマンばいきんまんが勝つ」くらい

あってはならないことなのだ。

 

男性にとってパンチラとは女子の魅力を高める1つの手法なのだろうが、

女子にとっては恥以外の何物でもない。

 

それは、男向けのめっちゃ硬派な、例えばゴルゴ13とかそういう漫画で、

かっこいい主人公のズボンのチャックが絶対開いてないのと同じなのだ。

 

ズボンのチャックが開いていたら、そりゃあもうカッコよさが台無しだ。

少女漫画に出てくる女子の場合も、パンツは「かわいい」に入らない。

 

少女漫画にとって、

スカートはかわいいけど、パンツはかわいくないのだ。

 

 

 

 

 

『ナオト・インティライミ事件』とりあえず黙れ。 

Twitterでまたもや話題になっている事件がある。

その名も『ナオト・インティライミ事件』だ。

私が勝手に名付けた。

 

この事件は、アーティストであるナオト・インティライミの写真を使い、あたかもナオト・インティライミサイコパスであるかのように見せる大喜利が発端だ。

 

勿論ナオト・インティライミが本当にサイコパスだったり犯罪者だったりした事実はない。ただ、彼の顔が面白いので、それに過激な嘘の言葉をつけただけなのだ。

 

最初はその写真を使い多くの作品が生まれTwitterが盛り上がったが、最近は「これはいじめだろ」という声が現れて、「いじめだ」「いじめじゃない」みたいな言い合いが始まっている。

 

私としては、とりあえず

 

大喜利を作った人は、とりあえず黙れ」だ。

 

その写真、無許可だろう?

本人に「あなたの写真を使って過激なワードを組み合わせた作品を公開しても良いですか?」と許可を取ったものではないだろう?

 

だったら黙れや。

私も正直笑ってしまった1人だから、責めることはしない。

 

だから、他人に「いじめじゃないのか?」と聞かれても、スルーしとけ。

 

相手にするな。

 

相手にするのは、ナオト・インティラミ本人だけだ。

 

ナオト・インティライミ本人から

「これはいじめですよ」と言われた時だけ、

「申し訳ございませんでした」と誠心誠意謝ればいい。

ナオト・インティライミが希望するなら「本人とは全く関係がありません」という

謝罪文と作品を公開すればいい。

 

それ以外は何も言うな。

 

勿論「いじめじゃない」なんて言うのはもってのほかだ。

作品を作った人が「いじめじゃない」と言い張るのだけはダメだ。

 

「いじめか」「いじめじゃないか」はネタにされた本人が決めることだ。

周りが決めることじゃないし、ネタの本人が何も言っていないのに

周りに責められて謝る必要はない。

 

ナオトさんは

 

「自分をサイコパス扱いするなんてひどい」

 

と思っているかもしれないし、

逆に

 

「名前が広まってウマイ」

 

と思っているかもしれない。

 

後者だった場合、周りはギャーギャー騒ぐ必要はない。

 

これだけ広まればナオトさんの耳にも少しは入っているだろう。

 

嫌なら「やめろ」とTwitterを通して言えばいい。

それだけで騒ぎは収まる。

作品を作った人がほぼクロなのだから、

表現の自由が~」なんてナオトさんが責められることはない。

 

ネタにされたナオトさんが何も言わない限り、

作品を作った人を責める必要はないし、

作品を作った人も謝る必要はない。

 

ネタにされた本人が何も言ってないのに、

正義感でつっぱしるのはよくない。

 

ただ、ナオトさんが「やめて」と言ったら

土下座して謝る。

それでいいと思う。

 

『ツツジの密 泥棒事件』何でもかんでもTwitterに載せるのがそもそも悪い。

Twitterで少し話題になっている事件がある。

その名も『ツツジの密 泥棒事件』だ。

私が勝手に名づけた。

 

ある母親が公園かどこかのツツジの密を子供が吸っていたのを

「懐かしい」としてTwitterにあげた。

 

すると

「公園にあるツツジの花を勝手に摘むな」

と非難されたのだ。

 

確かに、公園に植えられている花は自生もあるがほとんどは税金で

植えられたものだ。

 

公園に咲いているチューリップを切って持って帰ったりしたらダメなのと同じように、

ツツジの密を吸うのも結果的には花を摘んでしまうから法律的にはアウトかもしれない。

 

だが、子供がこっそりツツジの花の蜜を吸うことが悪いかと言うと、

悪とは言えない気がする。

 

それに、昔そんな罪悪感を持たずにけっこうな人がやっていた気がする。

 

「花の密を吸う」という行為は、だいだい子供から子供に受け継がれる

伝統的な遊びみたいなものだ。

 

個人宅の花はマズいが、公園のを2つくらいなら、まあ許されるような気がしないでもない。

 

だが、それを親が「Twitterにあげる」。

 

これこそが最大の罪だと思う。

 

公園のツツジの密を吸うのはグレーゾーンで、

本当はダメだが許されている部分もある。

 

それを「楽しいですね!」みたいな言葉をつけて親がTwitterに載せて全世界に

公開すると、おいおいちょっと待て、となる。

 

正直、「やる人が少ない」「被害が少ない」から許されているのであって、

このTwitterでやる人が増えて本格的に被害が増大したら、規制されてしまう。

 

やるなら黙ってやれ、ということだ。

 

つーかなんでもかんでもTwitterにあげるなよカス、と思う。

 

例えばさ、イヤイヤ期の子供はそりゃあもう手がかかるらしい。

一度ヒステリーを起こすと、物を投げまくって大変らしい。

その時に、まずは落ち着かせるために10分だけ押し入れに閉じ込めたとする。

 

その子供にはこれは効果てきめんで、10分後には落ち着いて

冷静にお母さんと話ができる状態になる。

子供も別に根に持つようなことはないし、お母さんも怒りに任せて閉じ込める訳ではない。お互いにただの作業だったとする。

 

でもTwitterで「ただいまお仕置き中~★」として押し入れに閉じ込めて泣きわめく最中の子供の写真をアップしたらどうだろうか。

 

それこそ虐待案件として警察に通報される。

 

Twitterではその人の事情とか、性格とか全てを伝えることはできない。

その場の空気とか、家庭の中だけで収めておくべき事柄はたくさんある。

 

そんなのも分からずに

何かしたら「ネタ!」と飛びついて写真をあげまくるのは本当にカスだと思う。

 

 

 

 

劇場版で「過去編」「パラレルワールド編」「サブキャラが主人公」「キャラデザが全く違う」はやめてほしい。

アニメに多いのだが、

人気のアニメは劇場版になったりすることがある。

 

劇場版自体は嬉しい。

終わってしまったキャラ達の活躍を見ることができるし、

作画も気合が入るだろうから迫力があるだろう。

 

まだまだ見たかったキャラのすごいかっこいいシーンとか

すごい感動するシーンが見れるなんて幸せだ。

 

私が劇場版に臨むのは、

「いつもの主人公たちがいつものように活躍する話」だ。

それで、映画ならではの

「音楽や動きが豪華になったバージョン」がみたいのだ。

 

だが、劇場版ではなぜか

 

・主人公が仲間と出会う前の話になってしまったり、

・アニメの仲間がおらず完全なオリジナルキャラとつるんでいたり、

・サブキャラが主人公になっていたり、

・キャラデザが全然違ったり、

 

することがある。

 

正直、

 

よけ~~なことすんじゃねぇ!!

 

と思う。

 

私は、アニメで全編を通してできた絆が作る新たな物語を見たいのだ。

 

なんで、「出会う前」みたいな0ストーリーをする訳?

主人公も未熟、仲間も未熟。

主人公たちが成長するのを最終話まで追いかけて見て、

なんでまた「1から」みたい話をわざわざ映画で見なきゃいけない訳?

 

普通~にさ、普通~に、

最終回でボスを倒した後の「また敵がやってきた!」パターンでいいじゃんと思う。

 

キャラデザが変わるのも許せん。

私は、アニメで見たキャラデザで動くキャラ達が見たいんだ。

何で別人みたいになるの?

 

予算があるからって、特別にオサレにならなくていいよ。

 

あと、サブキャラ主人公にするのやめてくれ。

スピンオフでタイトルも変わるならいいが、

アニメの同じタイトルで別のやつが主人公はなんか許せない。

主人公は主人公なんだよ。

脇役はあくまでも脇役。

脇役を主人公にすると、

作品を見るテンポがズレるというか

変な感じになる。

 

個人的にはパラレルワールドが一番理解できない。

なんでさ、わざわざ違った設定にするの?

私はアニメの中で知り合ったキャラ達の活躍が見たいのに、

仲間がいきなり敵側になっていたりいないことになってたりするの?

 

正直、気をてらい過ぎ。

 

映画だろうと、王道でいいんだよ!

主人公たちが、いつも通り活躍するだけでいいんだよ!

 

映画だからって特別な作りにする必要なんてない。

 

そんなのはオリジナルとか完全な別作品としてやってほしい。

 

 

緊急取調室2話 感想 どんなことがあっても殺人はよくない、とは言えないが…

今回は「親の因果が子に巡ってきてしまった」話でした。

 

父が保険金を得る為に自殺をし、

それを知った息子が同じく自殺を望む患者を殺す。

 

人を殺したらダメという法律があるので、

彼がしたことが良いか悪いか置いておいて裁かれないといけません。

 

ただなー、

人を殺すっていうのはその遺族からどう思われても

弁解できないじゃないですか。

 

彼は患者の境遇に同情して「殺して」と言われたから殺した訳ですが、

これで妻が

 

「私は死んでほしくなかった!

仕事しながら自宅介護で認知症の義母と夫、

両方を支えるつもりだった!!」

 

とかめちゃくちゃな理論で怒りをぶつけてきても、

それを受け入れるしかないんですよね。

 

「遺族からどう思われようと、俺はこいつを殺したかった」

「殺してスッキリした。遺族の気持ちなんて知らないね~」

みたいな感じまで突き抜けるなら良いんですが、

一時の同情だけで殺してしまうと

例えばその患者の遠い親戚から「俺の親戚は身勝手な医師に殺されてな~」とか

全然関係なさそうな人から真実と全く違うことで恨まれたりするんですよね。

 

自分が殺したことで遺族の誰かの恨みを買い、

それが原因で自分の家族を殺されても良いという覚悟までできないと、

人を殺すのは難しいというか大変だと思いますね。

 

もしかしたら患者は殺されたことで保険金が出て妻は助かったかもしれないけど、

二人の間に子供がいて、その子共が

例え親が入院しているのに面倒くさがって一度も見舞いに来なかったり

死にそうになっても死に目に駆けつけなかったり

入院費を少しも援助しないようなロクデモナイ子供だとしても、

その子供が

 

「俺はもっとお父さんと話をしたかったのに!」

 

とかどの口が言うんだよみたいな責めしても、殺した側は謝るしかない訳ですよ。

クレーマーにひたすら謝るしかない店員みたいになっちゃう訳ですよ。

そんなの嫌ですよね。

 

あ~あ、もし彼が結婚して子供が産まれてその子共が偶然、殺した患者の子供の子供と遭遇して最悪殺されてしまっても、彼はそいつを恨むことはできない訳です。

先に殺したのは自分だから。

 

だから、軽はずみで人を殺さない方がいいですね。

彼は患者に深入りし過ぎてしまったんですね、きっと。

 

患者にハメられたとも言えます。

麻薬の運び屋とか、加担したら自分も犯罪者になってしまう系の詐欺に遭ったのと同じですよ。

 

詐欺に遭わないようにしなければ。

 

なぜ人間は、生まれてくる親を選べないのだろうか。

人間はそろそろ

生まれてくる親を選べるようになっても良いのではないだろうか。

 

世界の悲劇の半分くらいはなくなるのに。

 

そうすれば、未成年の未熟な親の元に生まれてくる子もいなくなるし

外国のめっちゃ貧しいところの何十番目の兄弟として生まれてくることもなくなるし

アル中やギャンブル中、覚せい剤中の親を避けることもできる。

虐待される確率も減る。

 

死んだ人もそろそろ天才が揃ってきただろうし、

そういう仕組みを天国かどこかで作ってくれないだろうか。

 

ベーシックインカムは、「その国にどれだけクズがいるか」で成功するか失敗するか決まるのでは?

ベーシックインカムが以前話題になった。

 

新しい社会の制度として注目され、

かなり前にスイスでベーシックインカムが取り入れられるか話題になったが、

結局投票では否決された。

 

実際国で運用されたらどうなるか知りたかったので残念だが、仕方がない。

 

ところで、ベーシックインカムが成功するか失敗するかのカギは、

その国の「ある人間の比率」によると思う。

 

それは「クズの比率」だ。

 

ここでいう「クズ」とは、

 

・お金の管理ができない

・お金があればあるだけ使う

・お金を返せる当てもないのにクレカのキャッシング枠やショッピング枠を限度額まで使う

・貯金を全くしない

・働かず、お金はギャンブルで増やせばいいと思っている

・人の為に働くのは嫌だと思っている

 

このような人を指す。

 

毎月決まった額をもらう制度は、

「お金をどういう風に使うか」という個人の責任がより重くなる制度でもある。

 

普通の人なら、

「少し貯金して残りは生活費。でも何もしないでいたら自分がダメになりそうだから、働くか何らかの活動はする」という

感じになって、

最低限の生活は保障されながら

真面目に働きもう少し優雅な生活をしたり

研究に没頭したりして、幸せな世界が広がる。

 

が、

 

クズの人は

「お金は毎月もらえるんだから今手元にある分は使い切ってOK。貯金なんて必要ない。働くなんて嫌だ。ギャンブルで増やそう」という感じになって、

すぐ借金を抱える生活になり、

おまけに不摂生で体を壊してお金欲しさに犯罪をし

多大な税金を国に使わせるという悲しい世界が広がりそうだ。

 

要はそういうクズが、国の中にどれくらいいるかが重要だ。

 

1割くらいなら、大丈夫だろう。

残りの9割の国民がしっかりしていれば、幸せな世界が保たれる。

2割くらいだと少しきついかもしれない。完全な想像だが。

クズが3割になるともうダメだ。

負の面が大きすぎてベーシックインカムは崩壊する、と思う。

 

A国では大成功し、

A国と国土と人口がほぼ同じのB国では大失敗という事もあり得る。

 

国民性というか国の気質というか、

そういうのが試されるのがベーシックインカムかもしれない。