主に不平不満を書く日記

9割不満、1割賞賛を述べる日記です。

ムーニーのCMはさ、「最後のしめの一言」がよけいだったんだよ。

ちょっと話題になっているムーニーのCM。

 

あれさ、

「最後の一言」が全てを台無しにしてるんだと思う。

 

あの赤ちゃんって多分新生児~5か月くらいかな?

寝返りできるかできないかぐらいの子だよね。

 

映像自体は、「新生児~5か月くらいの子育てあるある」で、

とても共感できた。

 

あの月齢って、ほんとによく泣くから大変なんだよね。

 

「何で泣くの~!?」ってイライラすることもあれば、

赤ちゃんがニコニコして「やっぱりかわいい!」って思うこともあり、

 

赤ちゃんが

・かわいいと思う周期と

・うざいと思う周期が

数分単位で常にグルグルしている時期だと思う。

 

でもね、

ワンオペで育児した場合

 

「その時間が、いつか宝物になる」

 

なんてことは、

 

絶対に

 

ない。

 

むしろ「あまり思い出したくない思い出」の部類だ。

 

ハッキリ言って、平均的な新生児~5か月の時期、

一人で育児した人は

 

「誰も助けてくれなかった」って思いの方が強いと思う。

 

あの映像に、例えば

お母さんの他に

・夫

・おばあちゃんやおじいちゃん

保健師さん

・近所の人

 

なんかが出てきて、

・お母さんがダウンしている時にお父さんが慣れない手つきでおむつをかえる

・赤ちゃんが泣いてお母さんが困っていたら心配した近所の人があやしてあげる

・お母さんの話を保健師さんがきいてあげる

・お母さんが昼寝をしている後ろで、おじいちゃんおばあちゃんが赤ちゃんの相手をしてあげている

 

というシーンがあって、

「大変な時期にこんなに助けてもらえた」という思いがあれば、

 

それは絶対に

 

「その時間はいつか宝物になる」と言える。

 

 

あの一言ね、多分少し世代が少し前の人が考えたのかな?

 

「お母さんは赤ちゃんのことず~っと好き」っていう

性神話を信じちゃってる人が

 

今の「母親はいつでも子供が好きな訳ではない」という

現実を諦めきれずに作っちゃった言葉だと思う。

 

昔は

「母親ならどんなに育児が大変でも子供がかわいいから喜んでやるはず!」

だったのが

「確かにお母さんも、赤ちゃんのお世話でまいるときあるよね」

「新生児のお世話って、大変だよね」

 

”でもさ、振り返ったら、それも良い思い出でしょ?”

 

って、結局母性神話を固定しちゃってる感じがするんですよね~。

 

いやいや、大変な時に助けてくれなかった思い出は、

いつになっても良い思い出に変わることはない。

 

子供はかわいいよ。

でも、だから「あの時間も振り返れば宝物」って訳にはいかないよ。

子供のかわいさと、

当時の大変さは周りの助けてくれなさへの恨みは別。

 

せっかく現状のお母さんのリアルを良い感じで映像化できているのに、

あの一言が台無しにしている。

 

あの一言のせいで、ステキな映像が全部ゴミみたいになってる。

 

あの一言は私が作り直すなら

 

「ムーニーが、あなたの大変さを軽減させます」

「ムーニーが、あなたの心強いパートナーです」

 

みたいにして、

 

「紙おむつの頼り強さ」をどーん!と押し出すね。

 

ワンオペでおむつを替えるのも大変だけど、ムーニーのおむつなら

その大変さをほんの少しですが軽減させることができます!

みたいな。

 

新生児ってほんとすぐおむつ変えなきゃいけないからさ

 

「たくさん入って安い!買いに走る回数が少なくて良いですよ!」

とか

「しっかり吸収するから背中漏れして全身早期替えなどの手間もありません!」

みたいな

 

「ワンオペするしかないあなたに寄り添う優しい企業」

みたいな感じでまとめればいいんだよ。

 

ワンオペ育児はお母さんには本当に良くないんだけど、

家庭の都合でそうならざるを得ない人に、手を差し伸べます!みたいなさ。

 

間違っても「ワンオペ賛美」なんかおむつメーカーがしちゃいけないと思うよ。

だって

 

「ワンオペ育児楽しい♪」っていうお母さん、

日本の中じゃどこ探してもいないよ。

 

全く共感されないと思う。

 

ていうかさ、CMって視聴者に「共感される」

ことによって初めて効果があるのに、

CMの一番の視聴者であろう母親に共感されないCMってダメ過ぎる。

 

まだ普通に「このおむつがいかに水を吸収するかを説明しただけのCM」

の方がマシだ。

 

最後の一言にOKを出した人が、戦犯だ。

 

ていうか、価値観がちょっと古い。

 

普通に考えて、デザイナーベイビー大歓迎ですよね。

デザイナーベイビーとは

遺伝子を操作して才能とか容姿を決めた赤ちゃんのこと。

 

倫理的にー!

 

とか

 

ありのままの自分を愛せー!

 

とかいう意見があるけど

 

正直、良くないですか?

デザイナーベイビー。

 

何の努力をしなくても

橋本環奈ちゃんや松坂桃李みたいな顔で産まれてこれたら幸せだよ?正直。

 

親の顔に似てないとかそういうのどうでも良いよ。

 

だって大人になって仕事をして一人で生きていく時に、

わざわざ親の顔と見比べる職場なんてないしさ。

 

困っている美少女と、困っているブス、みんなならどっちを助けたい?

困っているイケメンと、困っているブサイク、みんなならどっちを助ける?

 

日本人の多くは「どっちも助ける」だろうけど、

心底助けたくなるのはやっぱり美少女やイケメンだと思うよ。

 

見た目は大事だからね。

ペットだって、見た目で選ぶじゃん。

子猫や子犬の動画は大人気だけど、

子ゴキブリの動画は大批判されるじゃん。

同じ子供なのに。

 

他にもさ、病気に強い遺伝子とか骨が強い遺伝子とか

そういうのつけてくれたら助かるよ正直。

 

病気は本当につらいし、できることならかかりたくない。

病気一つで、一生痛みと共に生きる人生になるかもしれない。

 

人の中には、

「自分の人生で出会った病気も人生の一部だから

病気になれてよかった」「痛みを知ったから人の痛みが分かった」

とかいう人もいるけど、

 

私は嫌だな。

できることなら痛みや苦しみとは無縁の、一生健康体な人生が良い。

例えそれで「病気にならないと気づかないこと」に気づかないとしても、いいや。

 

そういうことで、

顔はかわいくて(イケメン)で病気知らず、

ついでに手先が器用とか才能もつけてくれたら

もうめっちゃウハウハだと思うよ正直。

 

 

 

芸能人の私服がダサくても文句言うな。

芸能人(主に役者)の私服が、

とんでもなくダサいってことありますよね。

 

週刊誌やネットニュースで「誰誰の私服がダサい!」と

取り上げられているのを気の毒に思えてくる。

 

テレビに出てる役者の服装は全部

専用コーディネーターが選んでるんだから、

センスよくて当然だ。(たまに変なのもあるけど…)

 

私服ってことはプライベートだ。

プライベートまで役者のイメージを持ち込まない方が良い。

 

あと、あまりにおかしな恰好をしている人は

テレビに出過ぎてストレスが溜まり過ぎて、

変な恰好をしてストレスを発散しているというのもあると思う。

 

芸能人(主に役者)は、仕事以外のプライベートで求められることが多すぎると思う。

 

プライベートでも

・カッコよくしろ、

・愛想よくしろ、

・ファンがいたら手をふれ、

・サイン色紙を渡されたら断るな、

・いきなりタメ口叩かれても怒るな

・写真を撮っても喚くな

 

いやー本当に人権がない。

 

スタジオから出たらただの人、みたいな扱いになれば良いのにね。

 

犯罪症候群 5話 感想 安易に戸籍なんか交換するもんじゃないねー! 

面白いのに見ている人が少ないという

印象のドラマ「犯罪症候群」

の、感想です。

 

 

 

娘が薬中に。

親に反発するのはいいけどさ

 

反発の結果が

「派手な恰好してリア充的ライブに行く」

の時点で、うわぁ…だよ。

 

なんかね、うん。

 

てか、お母さんの言い方悪いよね。

「私が心配してるから帰ってきて」って言えば良いのに、

 

・お父さんに迷惑かけるな

・もっと大人になれ

 

とか、逆なでしてるよね。

子供に「もっと大人になれ」って言ってどうすんのって話だ。

 

 

戸籍交換は、最初は人助けだったと。

 

あれだね、

「ドクターキリコの贈り物」って本知ってますかね?

 

結局悪用というか個人の信頼の上だけで成り立っていたようなものだったのに

警察のやっかいになるようなことやっちまった人が1人いてみんな共倒れ、みたいな流れ。

 

結局そういう人が出てくるから、危なっかしいことはダメになっちゃうんですよね。

 

うーん、安易に戸籍なんか交換するもんじゃないね。

 

もっと学校でさ、

「世の中には度を超えた悪人がいる」っていうのを教えた方が良いよ。

 

櫻子さんの足元~3話 感想 ていうかさ、「教えない」ってひどくない? 

櫻子さんの足元~3話を見た。

 

 

 

あ~~つまり、

「本人以外はみんな知ってた」みたいな流れですよね、これ。

 

これさ、「知ってて教えない」ってある意味罪だよね。

よく他の作品でもこういうのあるじゃん。

 

本人に「自分が親です」と告げないで

知り合いを装う実親とか、

 

本人に「生き別れの兄弟です」と告げないで

友人を装う生き別れの実兄弟とか。

 

そういうのって大概真実を告げないまま相手は死んだりなんかして、

本人が後から調べたりして真実を知って、

「知っていたらあんなこと言わなかったのにあー!」

ってなるやつ。

 

あのさぁ。

 

知ってたらそんなこと言わないよ!

他人だから言ったんでしょ!

そういうのを真に受けて傷つくとか、それってなんてマゾ?

 

ていうか本人に知らせずにお近づきになるってことは

そういうことも言われる可能性もあるってことでしょ?

 

2chで自分の悪口スレ立てる奴くらい変態度高い。

そのスレにはそいつが嫌いな人が集まっているのに

 

わざわざ

「でもあいつにも良いとこあるよ?」

 

みたいなこと言ってフルボッコにされるみたいな。

 

当然の流れからの当然の結末ですよね。

 

死んだらもう謝れないしさ、

一生背負っていくしかないじゃん。

 

相手はさ、「何言われても気にしない。傍にいられるだけで幸せ」と思うかもしれないよ?

でも本人にとったら、

「事情があって名乗れなかったけど本当は優しい実親の目の前で

その実親をメタメタに罵る自分」が歴史として残る訳よ。

 

相手が気にしなくても、自分が気にするよ!

なんて十字架背負わせてんだよ!

 

と思った。

 

友達100人なんていらない。友達2~3人で十分だ。

友達が100人できそうな歌がありますよね。

 

ジャスラックが来そうなので歌詞は書きませんが、

最終的にフジヤマの上でライスボールを食べる歌です。

 

でも、実際友達は100人もいらないと思う。

学校や職場、その場のライフステージで、

仲が良いと思える人が2~3人いれば十分だ。

 

例えば、小学校のクラス30人が団結しているとする。

でもその30人がみんな等しく仲が良いかというとそうではない。

 

よくよく見ると、一番人気で一番頼られている子が1人おり、

その子を支える二番目に人気で二番目に頼られている子が2~3人おり、

それを囲む信者的な子が10人くらいいる。

 

残りの子はそこの子達の圧倒的なリーダーオーラに

ひっぱられているだけだ。

 

いくら「全員団結している」と言っても

 

クラスで一番人気のない子がクラスでのリーダーと

親友ぐらい仲が良いかと言うと

 

そうではない。

 

おそらく友達と言うより

自分についてきてくれる部下の部下の部下…という感じだろう。

 

部下だから優しくするけど、

一緒に遊びたいか、食事をしたいかと言われたらそうではない。

結局個人的な付き合いとしては、リーダーは上の2~3人たちとつるむ。

 

それが悪いこととは言わない。

クラス全員と同じレベルで友達になるというのが無理なのだ。

 

クラスで一番人気のない子は、

自分と親しくしてくれる2~3人と限定して付き合えばいい。

 

その子らがスクールカーストのどの辺にいるかは関係ない。

きちんとした付き合いをしてくれれば、それでいい。

 

たくさんの人と友達になろうとしないで、

自分の周りに仲が良い人を2~3人作って、

固まってしまえば良い。

 

それだけで人生は楽しくなる。

 

なんていうかな、

「皆と友達になろう!」というと、

友達の親密度がぶれる気がする。

 

幅広く友達を作るんじゃなくて、

狭く深く友達を作った方が

 

人生を総合的に見ると良い気がする。

 

 

 

目的は「働いて食い扶持を稼げるようになること」「人に潰されないような精神力を身に着けること」の2つだけ。

中学生までは義務教育だから、

学校に通う義務がある。

 

じゃあ「なんの為に学校に行くのか」を考えてみたら、

突き詰めると↑になると思う。

 

最近さ、学校を神格化し過ぎて「学校に通う事が目的」みたいになってないかと思う。

 

だから、

・いじめられて精神的にヤバイのに学校に通い続ける。

・具合が悪いのに皆勤賞を目指して学校に行く。

 

みたいな本末転倒なことが起きる。

 

学校に通うのは1つの手段であって、本来の目的は↑の2つだ。

 

まず1つめは

働いてご飯を食べられるように、

最低限の日本語や算数、一般常識の社会や理科を習う。

 

中学までの勉強をしっかりすれば、ある程度のバイトは務まる。

バイトの仕事が務まれば、正社員の仕事も務まる。 

 

これで働いてご飯を食べることができる。

 

 

次に2つめ。

これが大事だ。

 

学校は「皆が仲良くすることが目的」ではない。

「色んな人がいる中で、自分の精神を健康に保つ訓練をする」所だと思う。

 

世の中にはびっくりするくらい意地悪な人がいる。

びっくりするくらい卑怯な人がいる。

 

そういう人たちは、治らない。

 

だから、同じクラスなどで逃げられない場合は

 

「最低限の付き合いをしつつ関わらない」

 

ということが大事だ。

 

そして時に「逃げる」という選択も必要になる。

 

いじめってあるよね。

あれは大人で言う「ブラック企業状態」だと思う。

 

ブラック企業の中ではそこの常識が異常だから、

いくら正論を言ってもどうしようもない。

 

対策は「退職」するつまり「逃げる」しかない。

 

立ち向かうにしても「逃げた後」に、

弁護士や労基に駆け込むのが賢明だ。

 

学校に通うのを目的にしすぎて、

いじめられても学校に通い続けるなんて愚かだ。

 

それは、明らかに違法な労働を強いているブラック企業

自ら出社し続けている手遅れのリーマンと同じだ。

 

そしてリーマンは過労死か、自殺する。

いじめの末路も似ている。

 

いじめに合ったらとりあえず学校に行くのをやめてほしい。

 

学校は「人に潰されないような精神力を身に着ける」場所でもある。

 

ただこれは

 

「だから何でも我慢しろ」

 

と言うのではない。

 

むしろ逆で、

「潰されように、問題が起きる度に自分で対策を考え実行しよう」ということだ。

 その中には当然「学校から逃げる」という選択肢もある。

 

例えばいじめにあって、人に潰されそうになったら?

 

これも、学校がその人に与えた「社会的」課題だ。

なぜなら大人の職場でもいじめは起こる。

 

学校でいじめがおきれば、

「その時自分はどうすべきか?」という予行練習ができる訳だ。

 

いじめはいじめをする方が100%悪い。

というか、「部が悪い」。

世間から見れば、いじめられている方に世の中の人は味方する。

 

いじめの味方をする人はいない。

するとすれば、それはやっぱり過去に誰かをいじめていた人、いわゆる同類だ。

そんな奴は味方にいらない。

 

だからいじめられたら

 

・冷静になり証拠を集めて徹底的にせめても良いし、

・教育員会に駆け込んで大騒ぎしても良いし、

・なんなら自分がいじめられている様子をいじめっ子と一緒に

Youtubeにアップしても良いし、

・関わりたくないと、逃げるだけも良い。

 

対策は色々あり、どれが正しいということはない。

自分でこれだ、と選んだものが正解であり、糧になる。

 

いじめは雨が降る、雷が落ちる、といったのと同じくらいよくあるひとつの現象だ。

だから自分の身に降りかかったら「何らかの対処をする」。

基本はこれだ。

 

ただいじめを甘んじて受ける、というのは

「問題が起きているのに何もしない」のと同じで、

自体は悪化しかない。

雨に濡れっぱなし、雷がゴロゴロなっているのに避難しようともしない。

 

それでは自分が傷つくだけだ。

 

学校で↑の2つの能力を獲得することに重点を置いて、

学生生活を送ってほしい。