本当にアニメには「水着回」と「風呂回」は必要なのか。
だいたいのアニメは季節の節目で終わるので、
10話とか13話とかで終わる。
そのアニメに原作がついているとなると、
・毎回どこで話を区切るか
・原作のどの話で最終回とするか
・どのキャラまで出演させるか
ということが議題となってくる。
原作が全然進んでいない場合は問題ないが、
原作のストックがかなりあり、話を進めようと思えばかなり進められる場合。
・原作を読んでいる人→原作にあるストーリーをできるだけ「アニメ」で見たいと思う。
・原作を知らない人→まずキャラが良いかどうか見て、それから1話のストーリーを見て継続してみるか決めると思う。
こうして原作を読んでいる人・知らない人を比較すると、
アニメにおける重要度は「ストーリー」なのではないかと思う。
そのアニメがどういう話なのか、面白い展開をするのか、続きが気になる構成なのか、そういうのが重要ということだ。
そこで思うのが
アニメ回に定番として存在する「水着回」と「風呂回」の存在だ。
原作にそういう展開があれば別にいいのだが、ない場合
アニメオリジナルでそういう展開がぶち込まれることが多い。
しかし、短いクールの中の2話も使ってオリジナル展開など必要なのだろうか。
アニメの面白さはストーリー展開も関係してくるが、変に水着回と風呂回が入ったことで展開がおかしくなることもある。
キャラが風呂に入るより「スト―リーの続きが知りたい」と思う人が多いのではないだろうか。
私はこれをがっこうぐらし!でやられて微妙な気持ちになった。
そりゃあ水着回と風呂回は、一見喜ばれる。
オタクも喜ぶ。
でもね、たぶんその半分は「フリ」だよ。
喜んだフリ。
水着きゃっほーい!って言っておけば楽だからさ、色々…
オタクとしては水着とか裸は、
「とりあえず喜んどかなきゃ」
みたいな空気あるじゃないですか。
きちんとした展開あってのちゃんとした理由のある水着ならニヤニヤが止まらないが、
明らかにぶっこんで来たなあって奴(艦これとかね)は、萎えるしかない。
というか、変にキャラが崩れるからむしろ水着も風呂もいらない。
普通にストーリーを展開してくれ、その2話で。
と思う。